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電話の形態の一番好きだったころ

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いろいろ最近では縁を感じ、身の回りに起きる色々も、
小さな私という人間が、これは「よい」思えようとも、そうでなくとも、
目の前に与えられたものは素晴らしいプレゼントにきまっている。

宇宙を取り仕切っている神様に意地悪心や、
悪意があったら、神様にはなれないから、
あるのは愛だけのはずだから....
絶対にプレゼントだぜ!
と思っていたら、どうやら本当にそのようであります。笑

我が家は色々な意味でおめでたい人たちです。


とここまでかいて、本来書こうと思っていたことがどうでもよくなってしまいました。

なにを書こうとしていたかといえば、
電話の形態の一番好きだったころ
私のおすすめしたい時代は、
固定電話のみの時代までです。
ナンバーディスプレーもまだの頃。携帯電話ももちろんない時代。

どうしてかっていうと、
一番楽で、わくわくしたからです。
誰からかかってきたか分からないドキドキ。
まるで、駄菓子屋のくじでも引くようなかんじ。

かけるときは、本人が出るか分からないので、それなりの「それ用」の自分も用意するわきまえとか。
正々堂々とした感じとか。そういう感じもすきです。

かけても、居なければ居ないで済んだ。
電話の近くに居る時にだけ出た。
偶然が今よりも多かったかも?なんて思ったり。


電話に出れなくても、かけたほうも出れなかった方も、それで済んだ。
ディスプレーは、便利だけど、
そんなに親しくない間柄では、
かけた方も、かけられた方も、
早く返さなきゃ失礼にあたるわ。なんておもったりして、こころが忙しくなったり、
あの方から、返事が来ないわ、なんて疑心暗鬼みたいになることだってありそうです。

電話に出ないだけで、何かを表現してしまっているみたいな感じ。
でんわを折り返さないだけで何かを表現してしまっている感じ。

そういうのがなんだか心忙しいなあー。とかおもいます....

と書いておきながら、
そうか、でも忙しいなあと思わなければ、楽なはずだな。
なにも、自分が必要としていないところに心をフォーカスしなければ、心忙しくないかな。
なーんて。


それからそれから、
メールについての不都合は、自分の送信履歴が見れてしまうこと。
あとで、みて恥ずかしくなったり、しまったな。とか、そっけなすぎたかな。とか。
ちょうどいい顔文字がないだとか。
つまらむところに、心を費やしてしてしまう、こころ忙しさ??(笑)

メールはお仕事や、業務的な使い方のみに限るなーなんて、私は思ってしまいます。
でも、そのような使い方してしまいますが。

手紙の良いところは、出してしまうと、なにを書いたか忘れてしまえるところです。

中の良いお友達に、心のもやもや、や、楽しかった事、いろいろをかいて、すっきり浄化して、
すっきり忘れて、ポストへポン。

そうして、わすれたころに、お返事がポストに届きます。
届いたお手紙は、電子メールよりも格段に情報量も多い!!そして何よりもわくわくします。

字の感じ。選んだ切手、封筒、便箋、字の変化などから、色々がうかがえます。
アナログに見えて、実はすぐれもの。

うーんやっぱり。うまくかけないなー。


息子は、両親ににて、おちゃらけのようです。
ちょっとがっくり。そして、まあ納得。
by jagared | 2012-09-30 01:42 | つまらぬはなし
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